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神戸家庭裁判所 昭和52年(少)1987号 決定

少年M・K(昭三七・一〇・二五生)

主文

少年を初等少年院に送致する。

押収してある文化包丁一丁(昭和五二年押一五四号の一)を没取する。

理由

(非行事実)

少年は、父M・M(昭和九年二月一九日生)・母M・T子(昭和一五年四月三日生)の間に生れたが、少年五歳時に父母が離婚したため、小学校時代の大部分を大阪市内の父方祖父母の許で育てられ、小学校六年初に再び父に引きとられて、以後肩書住居で父子二人だけの生活をしていたものであるが、父はタクシー運転手で、早朝家を出て翌未明帰宅するという変則的な勤務であり、しかも夜勤あけの休日は趣味である海釣りや狩猟に一人で出かけることもあつて、父子間の触れ合いが少く、また終日家にいるときも、家事の分担として少年に掃除をさせ、少年にはとるにたりないと思えることにもくどく叱り、少年の友人関係にも小言をいい、時には少年を殴るなどのこともあつたため、次第に父に反感を持ち、反撥するようになり、中学校二年になつてからは、タバコも本格的に吸うようになつていたところ、昭和五二年一月にはタバコを吸つていることを父に知られたが、母の仲介でようやく叱られるだけにとどまつたのに、その後も喫煙はやめず、同年四月下旬ころには、再び父に見つかり、父から殴打されたうえ、今度吸つたら警察に突き出すとまでいわれて、痛く恨みに思うようになり、更に同年五月中ころには、中学校卒業後の進路について就職したい旨父に言つたところ、進学させたいと考えていた父から数回殴打されて、自分の進もうと考えている道までも父に支配され、父に勝手に曲げられてしまうものと思い込み、殺意さえ抱くに至つたものの、実行に至らず、その後数人の友人に殺意をもらすにとどまつていたが、昭和五二年五月二七日午後九時すぎころ、神戸市○区○○○×丁目××公団住宅×××の×××号の肩書自宅において、女友達に電話をしているとき帰宅した父M・M(当時四三歳)を、電話を中断して玄関に出迎えたところ、父から喫煙をとがめられ、いきなり顔面を殴打され、「また吸つとんか」と怒鳴りつけられて、逆上し、父を殺そうと決意し、同家台所にあつた刃体の長さ一五・七センチメートルの文化包丁一丁(昭和五二年押一五四号の一)を右手に持つて、玄関から六畳の間に入ろうとしていた父M・Mの胸部に右文化包丁を一回突き刺し、同人に心臓切損などの傷害を負わせ、よつて同人をして、間もなく同所において、右傷害による失血により死亡させたものである。

(適用法条)

刑法一九九条(殺人)

(処遇の理由)

一  少年は、父母の間の唯一の子として生れ、育てられたが、父は、趣味に没頭し執着し、又潔癖で堅苦しく融通のきかない人のようで、それを理解しようとせず、非難を加えるような母に、脅威を感じ、時には乱暴もしたようであり、父母双方いがみ合い、少年五歳時に遂に離婚するに至つたため、それ以後、はじめの一年余は神戸市内の父の許、次いで大阪市内の父方祖父母・おじ夫婦の許、次いで小学校六年からは肩書住居の父の許というように、転々と異る養育環境の許で育てられた。そのようなこともあつて、少年は、無条件かつ全面的に受容され、依存できるという親子関係の体験に乏しく、そのことが、人間相互の交流に障害を生じやすく、他人の立場を理解しにくく、又他人への思いやりに欠けるという少年の性格形成に影響があつたのではないかと考えられる。父子二人だけの生活になつてからも、父子間に、率直な話し合いやこまやかな感情の交流はなかつたようで、家事の分担についても、当初は父がその大部分を負担していたが、少年が中学生になると、次第に少年の負担が増加し、そのようなことでも、友達づき合いに楽しみを求めていた少年にとつては、やがて耐えがたくなつていつた。父から逃がれるために、運動部に入つて遅く帰宅し、異性を含む不良生徒との関係を深め、その中で優越的気分にひたり、喫煙をし、学業成績も、知能指数一二二とは思えないほど低下していつた。このように、少年が不良化し、学業成績も悪化するにつれて、父の叱責はより厳しく、より執拗になり、その一方、父が趣味に没頭し、休日には自分一人で海や山へ釣や狩猟に出かけてしまうこともあつて、少年の父に対する不満反撥は日毎に増加し、父は勝手に母を離婚し、そのため当然父がなすべき家事を少年に押しつけ、父だけ遊んで、少年の自由を縛るものと思い込み、父を恨み、遂には殺意さえ抱くに至つた。このような父子関係悪化については、父と離婚し、少年の養育から離れていた母が、少年の中学校一年後半ごろから再び少年との接触を始め、時たま会つては、少年に物を買い与え、少年の立場を擁護し、甘い慰めの言葉をかけるその反面、父を非難し、父の立場を脅かすような言動をしたのではないかと考えられ、ひいてはこれも一因になつたものと考えられる。本件は、そのような父にする憎悪が極限に達していた段階で、予想外のときに帰宅した父(勤務中近くに来たときには、時々帰宅していたようである)を、性的関係もあつた女友達との楽しい電話をも中断して、やや迎合的な気持で、玄関に出迎え、「おかえり」と言つたのに、いきなり父から殴られ、逆上して、遂に父を殺害するに至つたものである。

二  当裁判所は、少年に対し、本件につき詳細に尋問したが、少年が父殺害およびその前後の状況を、細いところまで正確に、しかも興奮することも涙を流すこともなく、あたかも日常的出来事を話すがごとく淡淡と供述したことは、特筆すべきことである。これは、警察での取調から当裁判所調査官による面接に至るまで一貫している。思うに、少年は、父殺しという深刻な問題も、真剣に考えようとせず、意識の中から切り捨て、その場の状況に安易に適応しようとしているようである。このことは本件犯行についても同様に言えることであり、父からの束縛は、少年にとつてはどうしても我慢できないことであり、切り捨てること即ち殺害ということで、これを解決しようとしたものと考えられる。審判の最後の段階で、父に対して申し訳ないことをしたと述べる一方、今でも父を憎いという気持があるとも供述しており、正直であるというより、非行に対する反省悔悟が足りないと言うべきであり、少年に父殺しの重大性を認識させ、心から反省悔悟させるには、いやなことや深刻な問題をも、意識の中から切り捨てたりせず、意識にのぼらせ、真剣に考えさせると共に、他人に対する思いやりの気持を育てる教育を施することが是非必要である。

三  本来母が少年を引き取るべき立場にあるが、再婚し、間もなく出産予定の身であり、仮退院後はできるだけのことはしたいと述べるものの、引き取つて育てるまでの考はないようであり、父方祖父母は引き取る気持はあるようだが、老齢で事実上かなり無理があり、他に引き取ろうとする親類縁者もいない。このように、少年の前途は多難が予想され、少年に対しては、上記の矯正教育の外、仮退院後も独力で生活してゆけるだけの学力や技術などを身につけさせる教育をも施す必要があるものと考えられるので、少年院収容期間が或る程度長期に及んでも、やむをえないものと考える。

四  その他、当裁判所調査官○○○子、同○○○○両名作成の調査票のとおり。

以上のとおりであり、少年を初等少年院に送致するのが相当と認め、少年法二四条一項三号、少年審判規則三七条一項、少年法二四条の二第一項二号二項により、主文のとおり決定する。

(裁判官 田中明生)

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